そして、それはあの震災の日の記憶を彷彿とさせるものでした。
あれから二年ところどころに震災の爪痕を残している街並みはとりこわされた建物の跡はただの空き地となり
そこには何も立つ様子もなくむなしく時間だけがすぎていくようです。
白菊で飾られた祭壇のある大崎市古川の県合同庁舎大会議室には
九時の開場早々記帳献花の人々が訪れ五時の閉場まで尽きることがありませんでした。
約500名の方々がこの開場を訪れました。
夫婦連れだったり親子連れだったり一人で訪れる人あり、また団体で訪れる人々もありその様子はさまざま。
祭壇脇に設えられた大型スクリーンには1時間おきに村井宮城県知事のメッセージが映し出され、
そのあとにコンパクトにまとめられたあの大震災の記録映像がそして被害の状況などが映し出されました。
そして天皇陛下のお言葉、被災地からは現在の様子が各地からリレー中継され
最後に岩手、宮城、福島のそれぞれの遺族代表の言葉で中継は終わりました。
会場内をほぼ埋め尽くした人々の中には涙をふく姿も見られ祭壇前にしつらえられた献花台には
用意された白菊と同時に持参してこられた花束なども供えられ手を合わせて被災で亡くなられた
人々の冥福を祈る姿がありました。
会場の外では風が吹く寒い中五時半から始まる追悼イベントの準備がなされ
テントを張ったり機材を運んだりと若者達が忙しそうに動き回っていました。
歌手のライブ、花火の打ち上げなど様々なイベントがもようされました。
会場の外2ヵ所に生花で飾られた追悼献花所の大看板が立てられ会場に入ると案内看板があり
スムースに記帳献花できるように配慮されました。
祭壇がある会場の入り口には又生花で飾られた案内板がありさらに中には記帳所、追悼献花所などの
表示看板が置かれました。
6名の県職員、2名の当社社員そして2名の北川社の社員総勢10名で訪れた方々のお世話をしておりました。
万全の態勢で用意された今年の追悼式も何のトラブルもなく無事終了し
献花所は最後の弔問客を見送り5時10分閉場しました。
直前理事長 倉島